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第10話 「むかつくアイツ」


峠を越えて下り道にさしかかる。地球の重力と自転車に積んでいる荷物の重さに身を委ね、下り坂をくだっていく。途中から眼下にこじんまりとしたビル群が目に飛び込んでくる。
 
”お〜〜〜っ!見えたぞ。着いたぞ!”
 
喜望峰を出発してから約1700km、1ヶ月もの時間を要し、ナミビアの首都ウィントフックに到着しようとしていた。自転車で旅していて最も興奮する瞬間の一つが、首都や大きな町が目の前に見えた瞬間である。理由は至って単純。大きな町では、“冷たいジュースが飲め、旨い物が食え、まともなベッドの上で眠ることができる。”という人間的な欲望を満たすことができるからである。逆に最も意気消沈する瞬間のひとつが、首都を出発する瞬間である。首都での束の間の文化的な生活から隔離され、荒野に放り出される気分に陥るのである。事実、このウィントフックでしばらく遊んだ後の出発の朝、僕は根拠のない腹痛を感じ、登校拒否の小学生の如くへばり込んでしまったのである。
 
ウィントフックで選んだ宿は、街の中心からそう遠くないドミトリールーム(ひとつの部屋にベッドがいくつか詰め込まれている部屋)。ベッド1つ当たり1日800円程度の安宿には、地元の出稼ぎ労働者や欧米からきたバックパッカーなどが泊まっている。相部屋でガンガンとタバコを吸うのは気が引けるので、僕はよく中庭のスモーキングエリアに出向き一服していた。夜になると、いつもそのスモーキングエリアにいる一人の男がいた。無精髭に、手入れのされていないボサボサの頭髪、目つきはまるで薬中毒者のように鋭い。出来ることならば、あまり話をしたくないタイプである。彼には知り合いがいないのか?独りでいることが好きなのか?彼が他人と話しをしているところを見たことがない。幾度となくスモーキングエリアで二人きりにはなるものの、全く会話がなく気まずく思っていた。ある日、僕は思い切ってこの白人に話しかけた。
 
“俺もタバコをよく吸うけど、お前もよく吸うよな。”


一瞬の沈黙のあと彼は僕をにらみつけ、「ああ。」と愛想なく応えた。予期していた通りの愛想の悪い奴である。会話が続かないことを恐れた僕は、“昼間は仕事に行ってるのか?”と興味も無いのに聞いてみる。沈黙の後、僕の質問を完全に無視し、「お前、中国人か?日本人か?」とかぶせてくる。予期していた以上にむかつく奴である。
 
自分が今ここにいる経緯をひと通り伝えると、彼は、「そうか。」と人を見下すように鼻で笑い、スモーキングルームを後にした。“アジア人をバカにしているのか!僕をバカにしているのか!もともとこういう奴なのか!”とにかく鼻につく奴である。沈黙に耐え切れず彼に話しかけたことを後悔した。
 
翌日の夜、スモーキングエリアに向かうと、またアイツがいる。一瞬戸惑ったが、今さら引き返すのも不自然だったので、そのままスモーキングエリアに入った。相変わらず人間には全く興味がないという感じで、タバコを吸ってはため息をついている。“今日は絶対話しかけるものか!”と沈黙を保ちタバコを吸っていると、彼は、
 
「お前は日本人か・・・俺はドイツ人なんだ。」と突然切り出した。
 
“そうか。”と昨日の復讐をこめて、興味なさそうに僕は相づちを打った。すると彼は、そんな僕の復讐心に気づかないふりをして、話し続けた。
 
「ドイツで生まれたが、幼い頃に親の仕事の都合でこの土地に移ってきた。父親がドイツ人で母親がナミビア人、高校を卒業するときにどちらの国で生きていくかの選択を強いられた。両親はドイツに帰ったが、俺はドイツに帰ってもあんまりドイツ語も喋れないし、一人ナミビアに残ることにしたんだ。」
 
ため息まじりの口調でさらにこう続ける。
「ナミビアに残ったのはいいが、まともな仕事なんて全然無い。朝から晩まで溶接工の仕事で、休みなんてほとんど無い。俺はこの土地で、このまま一人で惨めに死んでいくだけなんだよ。昨日、お前はアフリカのことを日本に伝えたいと言ったよな。せいぜいこんな男がいることを伝えれば良い。」
相変わらず人を小バカにしたような笑みを浮かべながら言った。
 
翌日、町のツーリストオフィスで申し込み、2泊3日のナミブ砂漠見学ツアーに出かけた。早朝、アプリコット色と呼ばれる色をしたキメの細かい砂が山々を成すナミブ砂漠は、朝日を浴びると言葉では言い表せないほどの神秘的な色を放った。朝日を浴びてアプリコット色を放つ砂と、朝日を浴びていないために不気味な暗い色をした砂が、砂山の尾根を境に絶妙な自然の芸術を生み出している。砂山のてっぺんに登って周囲を見渡すと、遥か彼方までアプリコット色の砂山が続いている。“わぁ〜っ”と叫びながら思いっきり砂山の傾斜を転がり落ちてみる。砂山の傾斜を転がり落ちながら、こんなに心の底から開放的な気分になるのは本当に久しぶりのことだと思った。自然のすごさに素直に感動した2泊3日の休日になった。
 
ツアーを終えホテルに戻ると、あのドイツ人が僕のことを探していたということを従業員から聞いた。“なんだ、アイツ。つっけんどんな素振りをしているくせに、実は俺と喋りたいんだな。”と少し勝ち誇った気分になる。

夜になりスモーキングエリアに行くとアイツが、例によって人を寄せ付けない雰囲気で、タバコをプカプカと吸っていた。“お前、俺のこと探していたんだって? なんか用か?”
と言いたい気持ちを抑えてスモーキングエリアに黙って入っていった。すると彼は、「ナミブ砂漠のツアーに行ってたんだってな。ふん。何にもねーだろ。あんなところ。」
と小バカにしたような口調で言う。
“ああ。まあな。”と僕は、ナミブ砂漠を見た興奮を抑えながら言った。なんだか相変わらずの彼の口調にほっとしたのである。
 
自分では認めたくなかったが、なんだか彼が気の合う奴のような気がしてきた。彼の人生に対する諦観(あきらめること)は、僕自身認識したくない自分の中に存在している冷めた諦観を代弁してくれているように思えたからだ。僕自身英語は得意じゃないし、彼もまた、そんなに得意ではない。最低限の意思疎通しかできない場面にいると、相手の目や仕草で本当の言いたいことを探ろうという感性が鋭く働く。それがむしろ、言葉を自由に交わせる相手との会話よりも、深く相手を知ることができることもある。諦観に満ちた彼の言葉の裏に、僕は恐ろしく希望に満ちた野心を感じることがあった。彼もまた、僕の希望に満ちた言葉の裏に、共感できる諦観を感じていたのかもしれない。
 
初めて外国人と意思の疎通ができた気がした相手が、地球の裏に住む同い歳の“むかつくアイツ”だったのである。
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