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第19話 「二日酔いの教師と生徒」

数学の教師、スティーブンは僕を教卓に立たせ自己紹介をさせる。ひと通りの自己紹介を終えると、彼に誘導されるまま教室の一番後ろの席に座った。黒板にチョークで書かれた走り書きの文字。何とも言えない懐かしい想いがジーンと立ち込めてくる。そんな懐かしさに浸っていると
 
「お前、ノート取らねーのかよ!」
隣に座っている生意気そうな高校生が僕に忠告する。
 
“急に連れて来られたものだから、ノートを持ってない。”
と答えると、彼はワラ半紙混じりの粗悪なノートを一枚破り、ペンと一緒に僕に突き出した。
 
生徒は皆、真剣そのもの。スティーブン先生の説明を釘入るように聞いている。スティーブンはスティーブンで昨晩の彼とは全く違った威厳ある態度で真剣に生徒たちと向き合っている。
 
 
 
通称“Warm heart of Africa”(アフリカのあったかハート)で知られるマラウィに入り、旅も6カ国目に突入した。海抜が0メートルに近いモザンビーク・TETE州からやってくると、小高い丘の上にある海抜1300メートル程のマラウィ第二の街・ブランタイヤへの道のりは、天国へと続く道を登っているような気さえした。しかし、海抜が上がった分、モザンビークで感じたような、茹だるような暑さはなくなり、不意に顔にあたる風に心地良さと安堵感を感じることがあった。モザンビークに滞在中、一度もまともにシャワーを浴びることが出来なかったので、ホテルに着くとまずシャワー室へ向かった。欧米の旅行者御用達のこのホテルのシャワーは、さすがに蛇口をひねると溢れんばかりの水が飛び出してきた。うれしくなりノズル全開で頭のてっぺんから足の指の先まで洗う。水が出るというチョットしたことが、こんなにも自分を幸せにしてくれる。些細な幸せだが、幸せの基準なんて、如何に自分が今いる環境より快適な環境に接するかどうか?であるような気がする。例え、それが生まれ育った日本の環境に達していなくても・・・である。そう考えると“日本にいるより、アフリカにいた方が幸せを感じる機会が多いと思うのは勘違いなのだろうか?” 
 

 
さて、さっぱりした所でプールを前にしたテーブルに腰をかけ、ビールを注文する。銘柄はカールスバーグ。マラウィではデンマークのカールスバーク社が、相当なビールのシェアを持っており、「Probably No.1 Beer(多分No.1のビール)」をキャッチフレーズにした看板をあちこちで見かける。「Probably No.1」という控えめな表現に僕のハートはえぐられ、街に着いたら“浴びるほど飲んでやる!”と心に決めていた。ウェイターのお兄さんが瓶入りのカールスバーグを運んでくる。毒は入っていないことを証明すべく、僕の目の前で栓を抜かれたカールスバーグは、瓶の表面が白くギンギンに冷えている。
“では、いただきます!”瓶のまま、一口ゴクリ。“うまい!”先進国で研究しつくされたと思われるキメの細かい味が、水分を失った五体に染み渡っていく。それを追いかけるかのように微量の心地良いアルコールが、使っていない脳と疲れた身体を適度に刺激する。
 
“One more, please!(もう一杯お願いします!)”
2本、3本、4本……夕暮れ時の活気に溢れているだろうブランタイヤの街とは、隔離されたこのホテルの敷地で、ひとりだけの優雅な時間を過ごしていた。
 
「ザブーン!!!」 という音と共に、ハッと現実に戻った。
周りの客も急におしゃべりを辞め、二人のマラウィ人に冷たい視線が送られる。少し離れた場所に座っていた二人のマラウィ人。ここに座った時から少し気にはなっていたが、二人ともワインを2〜3本空けてベロンベロンに酔っ払っていた。酔っ払った一人が、プールにワインの空き瓶を投げ込んだのだ。従業員は慌ててプールに投げ込まれた瓶を取りに行く。二人のマラウィ人は、悪びれることなくゲラゲラ笑っている。しばらくすると彼ら二人が僕のテーブルに近づいてきた。
 
“おいおい、絡まれるのかよ。こっち来るな。バカ”
意に反して彼らは、僕のテーブルに座りやがった。“まぁー、この客層を見る限り絡むとすればやっぱり僕かな?”とも思う。数ヶ月間アフリカに滞在している中で気づいたことの一つだが、アフリカ人にとって白人という人種は敷居が高いようだ。しかし、黄色人種にはあまり敷居を感じないようである。
 
「Are you Chinese?(お前は中国人か?)」
こちらが酒を飲んでいるのに、飲み過ぎとすぐにわかるほどの悪臭。
「おごってやるから飲もうぜ。ヘイ、ウェイター。このチャイニーズにビール一本。」
“・・・”
 
素行の悪い奴らで歓迎ではないが、おごってくれるなら話は別だ。それに、一人での黄昏の時間にもそろそろ飽き、人恋しくなってきていた事もあったので彼らを受け入れることにした。
ディープとスティーブン。ディープは建設関係の仕事をしており、スティーブンは学校の先生をしている。彼らのハイテンションに早く追いつこうと次々にビールやワインを口に放り込んだ。そして徐々に記憶が遠のいていった。
 
翌朝、ホテルの従業員に起こされ、二日酔いでふらふらの身体を引きずっていくと、受け付けにスティーブンがいた。
「Good morning, Masaki. 行くぞ!」
“行くぞってどこ行くんだよ。”
「オレの授業だよ。」
“はっ〜?”
「お前、昨日一緒に行くって言ったじゃないか!」
“・・・” 悪いが僕には全く記憶が無かった。
 
時間が無い!ということで顔も洗わせてもらえず、二日酔いの身体を引きずられ高校に連れて来られた。教会が隣接している高校の敷地に入ると、水色のズボンやスカートに白いシャツを着た高校生達の姿が目に入った。きっと規律正しいキリスト系の高校なんだろう。スティーブンは昨日の夜とは全く違った“こいつ本当に先生だったのかよ。”と思うくらいの小奇麗な格好をしている。スティーブンに案内されるがままに教室に入り、一番後ろの席につくと数学の連立方程式の授業が始まった。
 

 
スティーブンは、威厳のある姿勢で生徒に接している。昨晩の彼の醜態を生徒達に見せてやりたいほどだ。生徒達もまた、スティーブンの授業に対し真剣に耳を傾けている。日本の学校の授業とは違い、生徒達は積極的に質問を投げかけている。この真剣な環境は、二日酔いの不謹慎な身体には厳しく、僕は“どうやってここを逃げ出すべきか?”を考えていた。しかし、そうこうしているうちに、スティーブンが黒板に連立方程式の設問を書き始めた。一人の男子生徒が指名され、黒板で連立方程式を解いていく。お見事に正解。スティーブンに褒められた生徒は、チラッと誇らしげに僕の顔を見て席についた。
 
“くそっ、対抗心を燃やしやがって。オレだってそれくらい解けるわ!”
 
次々と設問が書かれ、生徒が一人ずつ指名され解答していく。生徒の中には解答できず、黒板の前に立ったまま苦笑いをしている生徒もいるが、ほとんどの生徒はすんなりと解いて行く。
「次はMASAKI!」
スティーブンが僕を指名し、黒板に設問を書き始めた。生徒の熱い視線を感じながら黒板に向かう。“ここはバシッと世界に誇るテクノロジーの生み出す日本人の頭脳ちゅ〜もんを見せてやろう。”そう思いながら黒板の前に立ち、設問を見た時、昨日飲んだビールが額から滲み出てきた。X、Y、Zの変数が三つも含まれた方程式なのだった。
“くそっ・・・”
あの手この手で解いてやろうとするが、数式がグチャグチャになってどうしても解けない。スティーブンの方に目をやるとニヤニヤしながら僕が解答するのを待っている。生徒たちも、興味深く僕が解答するのを待っている。TOYOTAやPANASONIC、SONY等、その-Made in Japan-ブランドがアフリカにまで浸透している今、日本のテクノロジーに憧れ、日々勉強しているアフリカの高校生も少なくない。あまり気持ちの良いものではないが、アフリカ人は僕のことを“Made in Japan!”と、まるで電化製品の如く呼ぶこともある。それ程にまでアフリカに浸透した-Made in Japan-ブランド。そんなテクノロジーを生み出す日本人が、高校生の数学を解けないとなると生徒たちはどんな風に思うのだろうか?
 
“あー、駄目だ。解けない。もう高校を卒業してから10年も経ってるからな〜。忘れちゃったよ。”
ありきたりの見苦しい言い訳をしながら僕はギブアップした。そして、スティーブンは何ともトリッキーな方法でこの方程式を解いて見せた。日の丸に泥を塗ってしまった気分になり、僕は塩をかけられたナメクジの如く、小さく教室の後ろで静かにうつむいていたのだった。
 
スティーブンは一時間目の授業が終わった後、「二日酔いで気分が悪い。」という理由で二時間目以降の授業をキャンセルして帰宅した。全くもって適当な先生である。そして夕方、また凝りもせず、僕はこの不良教師とカールスバーグの栓を抜き続けたのであった。
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