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第14話 「崩れていく経済のなかで(前編)」
静かな森の中から、「ゴォッーーー」という重低音が、大地と自転車のフレームを通じて身体に伝わってくる。地球という巨大な生き物が呼吸していることを身体で感じ、武者震いがする。重低音が聞こえてくる方角の空に目を向けると、夕立の雨雲の如く激しく水分を帯び、周囲の大気の色と全く違った色をした大気が局部的に発生している。ジンバブエ共和国に入って最初に到達する町がビクトリアフォールズという町。北米のナイアガラ、南米のイグアス、そしてここアフリカのビクトリア。世界三大瀑布のひとつであるビクトリアフォールズに僕たちはやってきた。
 
到着した日、滝の観光は翌日の楽しみに取っておいて、安ホテルに自転車を置きビクトリアフォールズの町を歩いて探索する。さすがに観光地化されたこの町には、立派なホテルや土産物屋が立ち並び、欧米からのツアー客が団体で歩いているのをよく見かける。そんな客に土産物屋の客引きが集まり、客引きたちは土産物を買ってもらおうと必死に白人たちに声をかけている。“客引きたちにとってアジア人は商売の対象にならないのか?それとも僕たちの風貌が彼らの商売魂を掻き立てるものではないのか?”彼らは僕たちの横をスッとすり抜け白人に声をかける。買う気がないのに客引きに付きまとわれるのも嫌だが、一応観光に来ているのだから客引きに声をかけられないのも寂しいもんである。僕たちに声をかけてくる輩(やから)は決まって路上の両替商。近くによってきては、耳元で「チェンジ・ダラー(ドル)」と呟く。両替は銀行でするものだと思っていたので、最初のうちは路上の両替商の勧誘に全く耳を貸さなかったが、あまりにも声をかけてくる両替商が多いので興味本位で聞いてみた。
“1アメリカドル(USドル)は、何ジンバブエドル(ZIMドル)?”
「1アメリカドル(USドル)は、180ジンバブエドル(ZIMドル)だ?」
“180ジンバブエドル(ZIMドル)???”
「安いか?なら185でどうだ?」
“いや、国境で両替商に両替してもらったときは、130しかなかったぞ。180や185は嘘やろ!”
「嘘じゃないよ!1アメリカドル(USドル)=185ジンバブエドル(ZIMドル)で両替してやるよ。」
“・・・”
うさんくさいのでとりあえずこの場は断るが、わけがわからなくなってきた。銀行の公定為替レートは、1USドル=60ZIMドル程度のはずなのに、国境で両替したときには1USドルに対して130ZIMドルほどもらえて不思議に思っていた。で、このビクトリアフォールズでは1USドル=180ZIMドルである。

ジンバブエに入国して間のないこの夜、スーパーマーケットでこの国の物価事情を、いろんな商品を見て調べてみる。極端に高い商品や極端に安い商品。物価が高いのか安いのか、おおよその検討がつかない。ところが缶コーラの値段を見たときにあることに気づいた。コカコーラ社のコーラは30 ZIMドルに対し、ペプシ社のコカコーラは90 ZIMドルもする。不思議に思い、缶に掲載された文字をじっくり見てみる。すると安いコカコーラ社のコーラは、Made in Zimbabwe、高いペプシ社のコーラは、Made in South Africa。つまり輸入品の価格が極端に高いのだ。“三倍の値段を払ってコカコーラ社のコーラよりペプシ社のコーラを選ぶ人はまずいないだろう。”という事はどういうこっちゃ?二本のコーラを持ったまま、普段使わない頭をフル回転させてみる。以前から聞いていた為替レートが、1USドル=60ZIMドルに対し、昼間両替商が言っていた現在の両替レートが1USドル=180ZIMドルと三倍に。自国生産しているコーラが30ZIMドルに対し、輸入品のコーラが90ZIMドルと三倍になっている・・・。やっぱりわずかな間にジンバブエドルの価値が外貨に対して暴落しているのだ。
 
スーパーからの帰り道、ひとりのジンバブエ人が僕に話しかけてくる。
「やぁ〜。君たちのことを今日昼間見てたんだよ。自転車にいっぱい荷物を積んでこの町にやってきたね。どこから来たんだい?」
彼の名前はフィソ。昼間はツーリストオフィスでチケットの手配などをしているという25歳くらいの男。ご丁寧に名刺まで渡される。南アフリカから3カ月かけてここまでやってきたことや、これから向かうべくところなどを言うと、
「いや〜。僕もそんな旅してみたいよ〜。でも、つい最近子供ができてね。日々の生活で精一杯なんだよ。」
と、子供ができたことがうれしくて仕方がないんだろう、デレデレした顔で言う。
「あっ、ところで両替はもう済んだかい?僕が変えてあげよっか?」 
子供の話をするときのデレデレした顔を見て、なんとなくこの男が信用できる男に思えてきたので彼に両替をお願いしようと思った。両替はやはり1USドル= 180ZIMドルだという。
誠司と僕、二人合わせて400USドルをジンバブエドルに両替したいと申し出ると、フィソは「5分ほど、ここで待っててくれ!」と言い、駆け足で現金を取りに行く。帰ってきたフィソはリュックサックを持ってきた。
“そ、それ・・・全部ジンバブエドルか??”
「ああ、そうだよ。400USドル分。」
“さすがはインフレの国。100USドル札4枚がリュックサック1個分のジンバブエドルに変わるのか・・・日本のドラマで言うところの身代金の受け渡しシーンみたいやな・・・”とにかく路上でこの取引はできないので、フィソをホテルに招いて両替してもらうことになった。

フィソはジンバブエの経済をひたすら「Crisis(危機)」と連呼する。銀行の外為は機能せず、今現在、ブラックマーケットといわれる闇市場でUSドルが高値で取引されていることを教えてくれた。フィソたちは、1USドル=180ZIMドルで手に入れたUSドルを1USドル=195 ZIMドルでUSドルを買い取ってくれるブローカーに売り、1USドルあたり15ZIMドルのコミッション(仲介手数料)を得るという。このブラックマーケットは公認されていないものの、ジンバブエではもはや一般的な外貨取引方法になっているようだった。通貨の暴落が始まると輸入品の価格が急激に上昇し、ここ数ヶ月で石油の価格は3倍以上に跳ね上がっているという。無論、国民の給料は変わらないわけだから庶民の生活はかなり締め付けられていく。後日、スーパーマーケットのレジで長蛇の列ができているのを見た。給料日だからと言うが、単に給料が入ったから買い物に来ているわけではなかった。ジンバブエドルの価値が日々下落していくなかで、一刻も早く手持ちのジンバブエドルを物に変えておかないと、今日100 ZIMドルで買えた物が明日は120 ZIMドルになっている可能性が大だからである。
 
「いかなる立派な経済学者にも通貨暴落の解明は難しい。」と後日ある日本人から聞いた。通貨価値が滑り出すと一刻も早く現金を物に換えようとする動きになる。その結果、スーパーマーケットからは物がなくなり必然的に物価が上がっていく。また、自国の通貨価値が滑り出すと、現金を物に換えるのと同様に現金をUSドルなどの安定した外貨に換えておこうという動きになる、結果、USドルの買値にどんどん高値がつけられていき、ジンバブエドルは、ますますUSドルに対して価値を落としていく。今後も通貨が下落していくだろうという国民の思い込みが、根拠のない事実を作り上げていく。先を予測しようとする人間の賢明さが、通貨の下落に拍車をかけていくようである。事実二週間後、首都のハラレに到着したときには、1USドル=180 ZIMドルが1USドル= 320 ZIMドルのブラックマーケットになっていたのである。
 
物価の上昇に国民の不満は限界に達していた。いつ暴動が起きてもおかしくない状態だった。国民の不満は政府に向けられるのと同様に、外貨を持っている外国人にも向けられる。外国人を狙った犯罪が頻発していることを聞き、気をつけねばと思っていた矢先のことである。フィソと両替した翌日の朝、「ドンドン。ドンドン」というドアを叩く音に目が覚めた。ドアを開けるとフィソが、ひとりの恰幅が良い男を連れてやってきていた。
 
「お前らが昨日、フィソに渡したUSドルは、偽札だ!」
“えっ!?フィソ、お前まさか・・・。”
 
                               ・・・つづく
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