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第17話 「ひとり旅」
麻雀のために貸し切られた部屋は、目が痛くなるほどタバコの煙に巻かれている。麻雀のメンバーは、“ユーラシア大陸を横断し、アフリカ大陸を南下してきた柳さん”、“世界一周旅行中の哲さん”、“ツアーコンダクターの仕事を半年ほど休んで旅行しているケンちゃん”と僕の4人。
麻雀狂のケンちゃんは、なんと麻雀牌を持って旅をしていて、行く先々で日本人を集い、麻雀をしている。ここパーム・ロック・ヴィラ(Palm Rock Villa)というハラレの安宿は日本人バックパッカーの溜まり場になっていて、常時15名以上の日本人が泊まっている。よくもこんな遠く離れた土地に日本人がこれほど集うものだと感心する。勿論、事前にこの宿の情報を聞いていた。日本文化に沈没してしまい、走る意欲を無くしてしまうのが怖かったので、できればこの宿を避けたかった。しかし、その宿にどんな人たちがいるのかを覗いてみたかったこともあり、ドアをノックした。初めは2〜3日泊まって別の宿に移るつもりでいたが、宿内で飛び交う日本語、1泊100円程度という安さ、ホットシャワー、そして料理好きの日本人が作ってくれる焼き飯や肉ジャガなどの日本料理。気が付けば、日頃飢えていた日本文化の凝縮されたこの宿から、僕らは脱出することが出来なくなってしまっていた。そして極めつけが“麻雀”である。夕方、目を覚ましては、宿前の売店で、10円ほどのビンのコカコーラで目を覚まし、“戦場!?”へと向かう。メンバーは、それぞれ長期旅行者として世界中の色んなものを見てきているはず。普通は旅の話に花が咲くはずなのに、誰一人として旅の話には触れず、目の前の牌に夢中になっている。夕方7時きっかりに麻雀は始まり、終わるのは朝の5時や6時。対戦結果と反省点を想い出しながら、日の出と共に眠りにつく。宿の従業員には、「Good morning, Lazy guys」(おはよう、なまけ者たちよ。)とからかわれる始末。もう既にハラレに到着して2週間が経とうとしていた。これほど太陽を見ずに生活したのは初めてではないだろうか。僕は、完全にハラレの街に沈没していた。
 
アフリカに打ちのめされ、疲れ果てた日本人旅行者が、1日に1人くらいのペースでこの安宿にやって来る。彼らのほとんどがバスなどを使って旅しているバックパッカーだ。バスでの移動となると勿論バスターミナルを町から町へ、自転車乗りにはわからない苦痛がある。アフリカのバスターミナルは喧騒の渦に巻かれている。“客引きの輩(やから)”、“しつこい物売り”、“カバン運びを申し出て法外に高い金額を請求しようとする者”、“置き引きやピックポケット等の泥棒”、時には“強盗団”。危険が集約されているバスターミナルや鉄道の駅などを、僕たち自転車乗りは避けて通ることができるが、バックパッカー達はそれらのポイントを避けて通ることが出来ない。そんな修羅場をくぐり抜け、この安宿に到着する日本人バックパッカー達は、皆、鋭い目つきをしている。彼らと目を合わすと、麻雀と快適な生活に沈没している自分が恥ずかしく思えてくる。しかし、そんな彼らもこの安宿で2、3日過ごすと、やって来た時の鋭い目つきはなくなり、僕たちと一緒にダラダラと過ごすようになる。そして、しばらくすると彼らもこの安宿を発つ時を迎える。出発前に大きなリュックを背負った彼らの顔は昨日までのぼけた顔ではなく、キリッと引き締まった顔をしており、この安宿にやってきた時の鋭い目に戻っているのである。僕はどれだけの旅人がこの安宿にやって来るのを迎え、どれだけの旅人がこの安宿を旅立って行ったのを見送っただろうか。

やがて、麻雀のメンバーだった柳さんと哲さんもケープタウンを目指しこの宿を発って行った。
「また、日本で麻雀しよう。」
出発前の彼らは言葉少なく、そう言い残しこの宿を去っていった。麻雀狂のケンちゃんも麻雀のメンバーがいなくなってしまった事が出発の動機になったのか!?しばらくするとこの安宿を発って旅立ってしまった。
 
そして遂に、喜望峰から4000Km、3カ月以上もの間を一緒に走ってきた誠司が帰国する日を迎えた。彼の旅はここハラレまで。予定通りここから帰国する。彼が帰国のチケットを手配するのを横目に、「もうちょっと一緒に走ろう。」と何度も言いたかったが、そういうわけにもいかなかった。寂しい野宿をする時も、危険地帯を走る時も、強盗に会った時も、二人だったからからこそ気が紛れた。“長い距離を走ってきて街に辿りついた時の感動”も、“綺麗な景色に出会った時の感動”も、“野生動物に出会った時の感動”も二人だったからこそ引き立つものがあった。これらの感情を、これから先、独りで受け止めて行く事は出来るのだろうか?誠司の帰国の日、3週間ほったらかしで埃をかぶった自転車を引っ張り出し、ハラレ国際空港までの道を彼と最後の併走をした。空港までの距離はたったの10kmであるにも拘わらず、足が重く、身体も重くなっているのがわかった。3週間遊んでしまったことを思い知らされた。
 
人もまばらな空港で一通りの手続きを済ませ、誠司が帰ってしまう時を迎える。誠司は何か言いたそうにしている。「出来ればすぐに帰って来い」と言いたいみたいだが、そんなことを僕に言っても無駄なことなのは、長い付き合いの中で彼は十分わかっているようだ。彼はその言葉を口にはしなかった。いつもは舌が回るはずの彼の舌足らずな言葉を聞くと、「これから先、独りで走り出して・・・最悪の事態に遭遇すること」を彼は想像しているようだった。
 
「これ、お守り代わりになるから持っとけ!メイドインジャパンで高いやつやから、ちゃんと持って帰って来い!」と彼は僕にペンダントの時計を手渡した。
「とりあえず死なんよーに!」
“あほか、死ぬか!”
「ほな、行くわ。」
 
最後まで彼は僕の目を見ることなく、不器用な言葉を吐き捨て空港の奥へと消えていった。彼の姿が見えなくなって初めて、これからひとりで旅をするという自分の不安より、これからひとりで旅をするパートナーを置いて帰るという彼の不安の方がずっと大きいものであることに気づいた。

安宿に戻ると、僕は狂ったようにこの街を出て行く準備を始めた。これから一人で旅を続けていくことに対する不安が頭をよぎらないように、がむしゃらに食料や自転車の部品を街で買いあさり、無我夢中に動き回った。そして、誠司が帰国した二日後、出発の朝を迎えた。3週間ぶりに荷物を装着した自転車にまたがると、見送りに出てきてくれた日本人バックパッカーたちが、それぞれに僕を見て笑う。
 
「福田さんだけは、ずっとこの宿に住みつくものだと思っていたよ。」
「ほんとに自転車乗りだったんだ。」
「麻雀と酒とタバコ以外の福田さんって笑えるわ。」
「福田さん、今、本当にいい目してるよ。」
 
日本人の皆に別れを告げ、ペダルを漕ぎ出した。荷物の重さにふらつく僕に後ろから罵声が飛んでくる。
「大丈夫かよ、おーい!」
ドドっと日本人たちの笑う声が聞こえた。僕は、振り返り精一杯の笑顔で“大丈夫!”とアピールした。暖かかった。今度日本人に会えるのはいつになるのだろう。日本人特有のこの笑い声を僕は、脳に刻み込んだ。
 
見慣れたハラレの街並みを横目にペダルを回す。市場を抜け、高級住宅街を抜けると、やがて民家は姿を消し、サバンナのなかを走る一本道になった。街の雑踏を抜けてきたせいか、ふと疲れを感じ自転車を停める。発作的に後ろを振り返ってしまうが、言うまでもなく、そこに誠司の姿はない。側方に目をやると、静寂のなかに草木が風になびいている音だけが聞こえる。前方に目をやると、遥か彼方に不気味な様相をした山々が霞んで見え、そこに向け一本の道が続いていた。
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