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第3話 「マラリアに倒れて」
 
強盗に遭遇した3週間後、強盗に切られた頬の傷も癒え、僕と松井君の二人はケニアの海岸沿いの町・モンバサまでバスでやってきた。僕はここで、一週間ほど自転車で走ってみようと、発作的に日本円にして5000円ほどの自転車を手にした。それは今どき日本では見かけることのない鉄製の自転車であった。目指すは500kmほど先にある首都ナイロビ。松木君が先にナイロビに行って待っていてくれることなった。
ナイロビに向けて走り出した二日目、どうも身体の調子がおかしくなった。偏頭痛がひどくなり、途中の村でくたばってしまった。村人たちが「風邪に効くよ。」と、彼らが噛んでいたハシシと呼ばれる中毒性のある草(ケニアでは合法。葉を噛んでエキスを吸うと軽い覚醒作用がある)を試しに噛んでみた。しかし、余計に身体がおかしくなりワラの上で完全に寝込んでしまった。夕方になってもいっこうに回復の兆しがなく、ワラの上で「はぁ、はぁ」と悶えながら、苦しみもがいている僕に心配してくれた村人たちが集まってきてくれた。「お前は、マラリアかもしれないからナイロビに電車で向かった方がいい。」それが村人のアドバイスであった。
“まさか自分がマラリアにかかるなんて!”僕は夢にも思っていなかった。たまたま、この村には電車が走っていたのだが、せっかく始めた自転車の旅がすぐに終わってしまうのが嫌だったので、電車に乗ることを拒んでいた。が、そんな意固地は悪化していく体調とともに失せていき、電車に乗ることとなった。暗闇の道を村人たちに付き添われ、自転車とともに駅へ向かう。どれくらいの距離を歩いたのか?何人の村人が一緒に駅まで同行してくれていたのか?とにかく偏頭痛がひどく、今でもその状況をほとんど覚えていない。駅でしばらく待つと電車がやってきて、村人のひとりと車掌が話していた事は覚えている。おそらくその村人は車掌に「こいつ病気だからよろしく頼む。」と言ってくれていたのだろう。そんな村人に礼を言う余裕もなく僕は電車に乗り込み、三等の長いすに腰をかけた。

ケニアの列車の三等席はすさまじい。得体の知れないものを食べる男。泣きじゃくる赤ん坊を怒鳴りつけるお母さん。どう見ても週末のお出かけではなく何かの事情があり首都へ向かう家族。病に侵されていなければこの空間がおもしろかったに違いない。でも、あの時の僕には、あの生活臭が苦痛でたまらなかった。しばらくすると、長いすに座っている僕のところに、“お前を探してたんだよ”と言わんばかりに一人の車掌が詰め寄ってきて、「カバンを持って俺について来なさい!」と言う。その車掌は僕を一等の寝台室に招いてくれた。そして、「たまたま空きがあるからここで横になってもいいよ。」と言ってくれた。夜を徹して走る寝台列車のベッドに横たわり眠れない時間を過ごす。枕に頭を横たえると、列車が線路の継ぎ目を通過するたびに生じるガタンゴトンという音が、寝台ベッドを通じて僕の頭をかちわりそうな勢いで襲ってくる。結局一睡もできないまま、翌朝ナイロビに到着し、親切な車掌が荷物用の貨車から自転車を取り出してくれ、駅近くのホテルに案内された。

松木君との待ち合わせには、あと三日ある。“起きているのか?寝ているのか?”“生きているのか?死んでいるのか?”全くわからない三日間をホテルのベッドの上で過ごした。病院や日本大使館に行くことを考える余裕など無かった。僕はとにかく無駄に体力に自信があったので、“自分がマラリアになっている!”という現実を信じたくなかったんだろうと思う。そして三日後、約束の場所まで行き、松木君を待っていると、「どうしたん、福ちゃん!その顔?」と血相をかいて歩み寄ってきた。「まさかマラリアじゃ?」、「いや、違うよ。段々良くなってきているから、多分普通の風邪だよ。」と思ってもいない事を松木君に言って強がってみせた。松木君は、強引に僕を日本大使館に連れて行こうとした。それに“ほっ”と安堵した僕は、“この外地では自分ひとりで日本大使館に行けない、病院に行けない、無力な人間なんだ!”と思い知らされた。日本大使館に到着する頃には、もう完全に松木君の背中に背負われて、彼に全体重をゆだねていた。
 
松木君が日本大使館の職員に事情を話すと、職員から「ここの病院に行くように!」と指示される。そして松木君に背負われ、日本大使館に紹介された病院に行った。病院で採血された後、一通の封筒を渡され、「この封筒を開けずに日本大使館に持って行きなさい。」と言われる。再び日本大使館に戻り、その封筒を職員に渡すと職員は気難しい顔で診断結果を見ながらこう言った。
「ほら言わんこっちゃない。マラリアのなかでも最もきつい熱帯性のマラリアです。昨年、このマラリアで日本人が一人亡くなりました。なんでもっと早く処置を施さなかったのですか。発症してから4,5日、放っておくと命の危険性が出てくるのですよ。」
そして、ハルファンと呼ばれるマラリアの特効薬を日本大使館から頂き、それを常用することで3日後にはほぼ正常な状態に戻っていた。

ボロボロの一ヶ月のアフリカ旅行だった。アフリカに対する興味は、怖さを体験することで、アフリカを深く知る前に失せてしまった。“危険察知能力や状況判断能力などが自分には備わっていないことを証明するあのアフリカ旅行のこと”をもう思い出したくもなかった。“もう二度とアフリカに行くまい!”と思った。
 
学校を卒業し、僕はなんの変哲もないサラリーマンの道に入り、アフリカのことや、かつて自分がアフリカに興味を持っていたことなどは遠い昔のことであるかのように、日々のサラリーマンライフを楽しんでいた。「アフリカの水を飲んだ者はアフリカに帰る。」という言葉がある。そんな作り文句のような言葉が、本やガイドブックでよく見かける。「くだらないことを言う奴が世の中にはいるもんだ。あんな土地に好き好んで行って何がおもしろいのか?」と思っていたのも束の間、その言葉が自分の身にも降りかかってきたのは、会社勤めをして4年が経ったころだった。
 
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